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第71回 “映画は続くよ、どこまでも”
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昨年11月の東京フィルメックスで、没後10年を迎えた相米慎二監督特集に通っていたのも束の間、年末に突然飛び込んできた森田芳光監督の訃報。作風こそ違えど、同時期にデビューし、日本の映画界を牽引したふたりの鬼才が、既にこの世にいないなんて、映画の神を呪いたくもなるが、命を擦り減らして撮り続けた彼らの作品群は、“映画を観た”という実感や映画的記憶とともに、これからも生きていく。
そんな重い気持ちを抱えつつ、趣は様々であるが、後々まで“引きずる”パンチの利いた作品たちで、今年一年を始めてみたいと思う。
ドキュメンタリーの世界で数々の賞に輝いてきたワン・ビン監督が、満を持して長篇劇映画デビューを飾った『無言歌』。1960年、反革命分子として収容所で過酷な労働を強いられた者の多くが命を失ったという、封印されてきた中国の苦い過去を掘り起こす。悲惨さを強調することなく、敢えてモノクロかと見まがうばかりに均一で淡々としたトーンを採用したことで、厳しい気候や壮絶な飢餓状態のために、死すらも日常であった当時の状況が、不気味なほど静かにあぶり出される。そんな長い沈黙を、遠路はるばる夫を訪ねてきた妻の悲痛な嗚咽が破り、カメラが当たり前のように映し出してきた収容所の異常性を一瞬際立たせるが、それすらも、風が吹き荒れるだだっ広い砂漠地帯では、無残にかき消されてしまう。こうして忘れ去られてきた幾多の尊い命を、ささやかながらもスクリーンに甦らせるべく、ワン・ビン監督は、住み慣れたドキュメンタリーの地平から、羽ばたいてみせたのかもしれない。
旧ソ連のグルジアに生まれ、後に拠点をパリに移し、現在まで国際的賞賛を浴び続ける名匠・オタール・イオセリアーニの最新作『汽車はふたたび故郷へ』は、自伝的要素を帯びつつも、どこか達観した視点が醸し出す浮遊感が、味わい深い逸品。撮りたい映画を撮ることのできる自由を求めて故郷を後にする、少々頑固な主人公の若き映画監督は、信念を貫き通すことの崇高さと同時に、それに伴う孤独をもまとっている。現在と過去、現実と虚構との間を自在に行き来する流麗なカメラワークは相変わらず健在であるが、大空を舞う伝書鳩など、自由に見えても逃れられぬ宿命を背負わされた象徴的なモチーフが、場所を移しても撮りたい作品をなかなか撮れずにいる主人公と重なり、独特のユーモアが彩るイオセリアーニ作品の中でも、よりペーソスが濃厚に漂う。水を打ったような静けさの中に、ミステリアスさがざわつくラストシーンは、知覚に縛られがちな観客の想像力を大いにかき立て、映画ならではの神秘的な世界へといざなうのである。
多方面で活躍するクリエイターのマイク・ミルズが、波乱の晩年を送った父親と自身とのかけがえのない日々をベースに、忘れがたい物語を紡ぎ上げた『人生はビギナーズ』。妻亡き後、御年75歳にして同性愛であることをカミングアウトし、最後の5年間を自らに正直に生き抜いた父親の死から立ち直れない主人公は、(後から振り返れば)夫婦愛が希薄だった家庭環境のためか、恋愛も含めて親密な人間関係を築くのが苦手で、運命の相手かもしれぬ女性に対しても、尻込みする始末。そんな不器用な恋のキューピッド役を務める、亡父の愛犬の思わぬ活躍が温かな笑いを生みつつ、夫からの真の愛を得られぬ淋しさを紛らすように、ひとり息子と戯れるアンニュイな母親との風変わりな思い出が、当時の世相を切り取る数々の写真とともに、淡いタッチで綴られていく。終わりと始まりが交錯し続ける人生を、一進一退に歩む“ビギナーズ”の流儀は、あくせくした現代人にも目から鱗の、潤いをもたらしてくれる。
昨年のヴェネツィア国際映画祭で、体当たりで挑んだ主演の染谷将太と二階堂ふみが日本人初となる最優秀新人俳優賞を受賞し、予想だにしなかった悲劇に沈む日本に一抹の光をもたらした『ヒミズ』が、遂に公開。カルト作家的なポジションから、『愛のむきだし』(09)以降、1作ごとに注目を浴びる存在となった園子温監督が、初めて手掛けた原作ものとしても話題を集めている。子どもは親を選べないが、次々と襲いかかる試練にも、前を見据えてがむしゃらに全力疾走する若いふたりを通して、東日本大震災後を生きる人たちにもエールを送る爽快なクライマックスは、血みどろの絶望の果てにのみ希望の兆しを見出す近年の園作品の中で、まぶしい衝撃を放つ。実際の事件に想を得てきた映画界の異端児が、容易には解決し得ぬ現在進行形の窮状の只中で産み落とした渾身作は、意外なほど真っ当な青春映画として、まっすぐ心に突き刺さる。
目を背けてしまいがちなことを直視し、安全な位置から眺めているだけの観客の心をかき乱してきた異才・イ・チャンドン監督が、美と醜、抽象と具体とのせめぎ合いから生まれる“詩”を主題に撮り上げた『ポエトリー アグネスの詩』。常に脆さや狂気をはらむ彼のこれまでの作品の主人公と同様に、本作のヒロインとなる66歳の介護ヘルパーも、日に日にひどくなる物忘れと闘っている。離婚した娘に代わり、難しい年頃になったその息子をひとりで育てながら、夢見る少女のような可憐さも失わない。詩作教室に通い始めた直後に、彼女は忌まわしい事態に巻き込まれるが、記憶が薄らぐ中で、さりげない情景を仔細に観察し、自身の内面にもとことん向き合ううちに、ある一篇の詩を生み出すに到る。アナログなものづくりが死滅しつつあるご時世ではあるが、二度と訪れない瞬間を永遠につなぎ留めようとする詩作に、映画づくりの影を忍ばせたイ・チャンドンのしたたかな覚悟に、映画の明日を信じてみたくなる。
(映画ライター 服部香穂里)