●高度経済成長期の日本で、理想の社会を求め革命を叫んだ若者たちの姿を描いた前作「実録連合赤軍 あさま山荘への道程」から2年。あの若者たちが国家に石を投げたのは、自分たちの親世代が行った戦争の愚かさと、戦争を忘れ経済発展を目指す国家への怒りもあったのではないかと、本作「キャタピラー」と作る中で若松孝二監督は感じるようになったという。
日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争。日本の20世紀前半は、戦争の時代であった。1945年8月6日、広島、同月9日 長崎、原爆投下。同月15日敗戦。日本は唯一の被爆国として、20世紀後半、平和を模索していった。
2001年9月11日世界同時多発テロ以降、今も世界では戦争が続き、核兵器保有国は7ヶ国存在する。
戦後65年を経て、かつて日本とアメリカが戦っていた事を知らない若者たちもいる。映画やゲームの中では簡単に殺人が行われ、現実では次々と残虐な殺人事件が起こり、忘れられていく。
「平和の為の戦争などはない。戦争は人間屠殺場である。」
命ときちんと向き合わなくなり、世界が同じ過ちを繰り返している今だからこそ、映画監督として思想を持って映画を作ることが求められていると若松孝二監督は強く感じるという。
静かな田園風景の中で、1組の夫婦を通して戦争の愚かさと悲しみを描く、若松孝二の新境地といえる作品が完成した。
●一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子の夫・久蔵も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、「生ける軍神」と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰える事の無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。
四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じはじめる。久蔵の食欲と性欲を満たす事の繰り返しの日々の悲しみから逃れるように、シゲ子は「軍神の妻」としての自分を誇示するかのように振る舞い始める。日本の輝かしい勝利ばかりを報道するニュースの裏で、東京大空襲、米軍沖縄上陸と敗戦の影は着実に迫ってきていた。そして久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始める。燃え盛る炎に包まれる、中国の大平原。逃げ惑う女たちを犯し、銃剣で突き刺し殺す日本兵たち。戦場で人間としての理性を失い、蛮行の数々を繰り返してきた自分の過ちに苦しめられる久蔵。混乱していく久蔵の姿に、お国の為に命を捧げ尽くす事の意味を見失い始めるシゲ子。
1945年8月6日広島、9日長崎原爆投下。
そして15日正午、天皇の玉音放送が流れる中、久蔵、シゲ子、各々の敗戦を迎える。
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