1923年9月1日に関東地方をおそった関東大震災。震災直後に起こった朝鮮人虐殺の真実を、多くの証言をもとに明らかにする貴重な記録映画2作を上映。監督は呉充功。
隠された爪跡
1923年9月1日マグニチュード7.9の大地震が、関東地方をおそった。死者10万人にもおよぶ、関東大震災である。
この時、6500名以上の朝鮮人が軍隊、警察、そして日本の民衆の手によって殺されていることはあまり知られていない。そのうえ、今なお遺骨が埋められている事実があった。
昨年9月、東京の荒川河川敷で地元の古老の証言をもとに、遺骨の発掘作業が始まった。映画学校に通う朝鮮と日本の若者たちがカメラを持ってかけつけた。
真実が隠されてきた60年の歴史を、この映画は追う。当時、押上に住んでいた曹仁承(チョ・インスン)さんはじめ、多くの証言が真実を語る。
この映画は、隠されてきた歴史の爪跡を明らかにする貴重な記録映画である。
〈映画を観て 今村昌平 映画監督〉
何と云っても、このドキュメンタリーの主役『アボジおじさん』が魅力的なのだ。大井町のホルモン焼店主だそうだが、八十三歳とは思えぬ元気者だし、直情型で、心が素直に画面にとび出るタイプなのである。
大正十一年、大震災の前年に、『日本へ行けば白い飯が食える』と聞かされた22歳のアボジさんは、朝鮮の貧しい村から東京へやって来る。その一年後大震災がおき、朝鮮人虐殺にモロに捲き込まれ、兄を殺され、自らも傷害を受ける。
このドキュメンタリーは、アボジおじさんの拙い日本語による語りを軸に、数々の証言や、客観的な証拠を集め、この残虐行為は何故起きたのか? それは偶発的なものであったのか?若しかしたら、実は仕組まれたものではなかったのか? そしてこの事件に拘ろうと拘るまいと、今、我々日本人にとってそれはどんな意味を持っているのか? を、ひたひたと問いつめてくる。
勿論アボジさんにとってこのショックは凄まじく、その後二十年間も、夜うなされたり暴れたりしたという。
終りに近く、殺された朝鮮人の死体を集めて焼いたり埋めたりした荒川べりに、日本人証言者の一人である老人Aさんとアボジさんが並んで立つ。Aさんは、意図的にかくされ、風化してゆく虐殺の事実を、子々孫々にまで語り伝えたいと云う。アボジさんはAさんの手をとって泣く。『くやしかったよ......本当に』決して論理的でない庶民の言葉で語られたこの記録の中で、最も感動的な部分であり、最も鋭く、我々を衝いて来るカットなのである。
私は、私の主宰する学院から、このような力強い映像を創るドキュメンタリストが出たことを心から誇らしく思う。
1983年|58分|呉充功 監督
払い下げられた朝鮮人
関東大震災時、関東各地の警察署などに予備検束、収容された3500人の朝鮮人と中国人700名を千葉県・習志野にある陸軍高津支鮮人[中国人・朝鮮人]収容所戒厳司令部の指示のもと「保護収容」を目的に移送した。移送の道中、船橋、江東区の大島では興奮した民衆と自警団が、警察が制止するにもかかわらず朝鮮人集団に襲いかかり女性子供まで惨殺してしまう。負傷したまま習志野の収容所に到着した朝鮮人を戒厳軍は周辺の村々の自警団に「朝鮮人をくれてやるから取りに来い」と村役場を通して払い下げを命じる。
高津観音寺にあった自警団本部に集められた朝鮮人15名を4つの部落に振り分けて、農民たちで構成された自警団は罪もない朝鮮人を名前を聞かず日本刀と猟銃で殺害する。残された自警団の虐殺を記録した日記と密かに供養を続けた観音寺の住職。朝鮮人移送を担当した野戦砲隊の元陸軍兵の証言と船橋警察署の警察官による事件の再現を証言と残された写真で試みる。
1985年8月、観音寺に韓国から大きな贈り物が貨物船で横浜港に届く。関東大震災朝鮮人虐殺を主題にした戯曲の取材で、なぎの原を訪れた金義卿作家、民俗学者沈雨晟氏が朝鮮人犠牲者を慰霊する施設を作りたいと韓国の文化芸術家とチャリティー文化基金で建設した慰霊の鐘楼が観音寺に運ばれる。韓国の木柱と屋根に150枚の朝鮮瓦を載せ、鮮やかな丹青で彩色された慰霊の普化鐘楼が観音寺の丘に韓国職人の手で組み立てられる。
1986年|53分|呉充功 監督
2023/9/17(日)~2023/9/21(木) |
- 上映は終了しました -
一般 | 1,500円 |
シニア | 1,200円 |
専門・大学生 | 1,000円 |
中学生・高校生 | 1,000円 |
小学生以下 | 700円 |
会員 | 1,000円 |
★入場システム、サービスデー・その他割引 |