シンペイ 歌こそすべて
日本の流行歌は、この男から始まった
『シャボン玉』『ゴンドラの唄』『東京音頭』など2000曲
誰もが知っているメロディを作った作曲家の知られざる生涯
中村橋之助/志田未来/渡辺大 染谷俊之 三浦貴大
中越典子 吉本実憂 高橋由美子/酒井美紀 真由子 土屋貴子
辰巳琢郎 尾美としのり 川﨑麻世/林与一/緒形直人
ナレーション:岸本加世子
企画・プロデュース:新田博邦
監督:神山征二郎
脚本:加藤正人、神山征二郎 音楽:久米大作 撮影・編集:小美野昌史
照明:淡路俊之 録音:治田敏秀 美術監督:新田隆之 助監督:菱沼康介 装飾:工藤秀昭
エンディングテーマ:『ゴンドラの唄』上條恒彦
後援:長野県 特別後援:公益社団法人 日本作曲家協会
協力:中野市、上田市、須坂市、松本市、長野市
製作:「シンペイ」製作委員会
配給:シネメディア
2024年/日本/カラー/シネマスコープ/5.1ch/127分
©「シンペイ」製作委員会2024
公式サイト
音楽とともに激動の時代を生きた稀代の作曲家、メロディは今もなお……新たな地平を切り開く、日本発の音楽映画がここに誕生!
音楽を愛する全ての世代に贈る、新たな音楽映画が誕生した!映画史に残る黒澤明監督の傑作『生きる』(1952年)で主演・志村喬が歌った『ゴンドラの唄』、「カチューシャかわいや わかれのつらさ」という歌詞が爆発的な流行語となった『カチューシャの唄』、日本映画初のタイアップ主題歌『東京行進曲』、盆踊りの定番曲で、東京ヤクルトスワローズやJ1・FC東京の応援ソングとしても知られる『東京音頭』、子どもからシニアまで口ずさみ、フランスの幼稚園でも歌われる『シャボン玉』や『てるてる坊主』……。明治に生まれ、大正・昭和を生き、今も歌い継がれ、童謡、歌謡曲、音頭、民謡まで幅広いジャンルの約2000曲を残した作曲家・中山晋平(1887~1952)。その生涯を、彼の音楽ととともに綴っていく。
「母ちゃんが歌える歌、いっぱい作ってくれ」
18歳で上京し、苦学を重ねながら音楽の道へ
信州から上京した中山晋平(中村橋之助)は、無事、東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)に入学するが、ピアノの習得が卒業レベルではないため、落第・留年の危機に陥る。しかし、幸田先生(酒井美紀)に演奏以外の才能を見出され、1912年(明治45年)、どうにか卒業する。
演出家・島村抱月(緒形直人)の「芸術は大衆の支持を離れてはならない」という教えの元、1914年(大正3年)、抱月の「日本の新しい歌を」、そして西洋の役と聞き美容整形までした歌う女優・松井須磨子(吉本実憂)からの「難しい歌はダメ」というリクエストに応え、『カチューシャの歌』を作曲。西洋の音律「ララ」を足すことを提案し、大ヒットする。その後も、「母ちゃんが歌える歌をいっぱい作って」という母・ぞう(土屋貴子)との約束を守り、母の死の直後にも悲しみの中、『ゴンドラの唄』を作曲。1921年(大正10年)には、作詞家・野口雨情(三浦貴大)の『枯れ芒』を改題して世に出した『船頭小唄』が大流行。翌1922年(大正11年)、児童文芸雑誌「赤い鳥」の童謡運動に賛同した雨情が『シャボン玉』を作詞。雨情の最初の子供は7日で亡くなったという裏話を知った晋平は、雨情の想いを汲んで作曲する。子供たちが歌うのを聴き、涙する雨情。晋平自身は、子供は産めないが、自分の音楽の理解者である敏子(志田未来)と結婚し、二人の養子を迎え、幸せに暮らしていた。
1929年(昭和4年)、作詞家・西條八十(渡辺大)と組み、映画の主題歌『東京行進曲』を制作。大ヒットしたが、新聞に「日本の新民謡はイタリアのそれと比べてあまりに下劣」と評が載り、また、長年組んできた歌手・佐藤千夜子(真由子)は、「本場のオペラを学びたい」と晋平の元を去る。新進気鋭の作曲家・古賀政男が新しい風を吹かし、自信を失くした晋平だったが、そんな折、信州出張時に16歳の時に代用教員をした小学校に寄ると、子供たちが自分の作曲した「てるてる坊主」を歌ってくれる。また、鹿児島出張では、鹿児島随一の売れっ子芸者歌手の喜代治(中越典子)と出会い…
9/27(土)〜10/1(水) | 10:00 | ||
10/2(木)・3(金) | 17:15 | ||
10/3で終了予定 |
一般 | 1,900円 |
シニア | 1,300円 |
専門・大学生 | 1,000円 |
中学生・高校生 | 1,000円 |
小学生以下 | 700円 |
会員 | 1,100円 |
★入場システム、サービスデー・その他割引 |